患者様インタビュー
Vol.419歳で手術に踏み切った神経筋原性側弯症の患者様の事例|患者様のインタビュー 第1回(全3回) 2025.9
今回は、脳性麻痺による重度運動障害を抱えた方(Hさん)の神経筋原性側弯症(脳性麻痺や筋ジストロフィーといった神経や筋肉の病気に伴う脊柱側弯症)の事例を紹介します。Hさんが側弯を発症するまでの過程と、当時は国内で手術例の少なかった脳性麻痺患者への脊柱側弯症手術に19歳で踏み切るに至るまでの背景、そして手術後の充実した生活までを追います。神経や筋肉の病気を持つお子さんは、身体の成長にともなって側弯症を発症するケースが非常に多く、神経筋原性側弯症とよばれる高度脊柱変形が、呼吸機能障害や消化管機能障害を引き起こすことも少なくありません。そのため、側弯症状の進行を少しでも止めることが重要ですが、Hさんは手術による改善を強く望みました。Hさんが通院する病院では当時は前例のない手術でしたが、その手術によってHさんは「人生が変わった」と言います。そのエピソードをHさんご本人へのインタビューで紐解きます。
全3回でお届けするインタビューの第1回では、Hさんが神経筋原性側弯症を発症するまでの過程と、共に疾患に向き合ってきた担当医師との出会いを振り返ってもらいました。
── 最初に側弯症の症状が出てきたのは何歳の頃でしたか?
Hさん:小学5年生、11歳の頃です。脳性麻痺の子どもは、成長とともに神経筋原性側弯症になることが多いという話は聞いていました。就学前に股関節脱臼の手術を受けて経過観察のために整形外科を受診していたのですが、やはり側弯の症状が進行していると言われていました。私は四肢麻痺ですが、左手だけは意識して力を入れることでなんとか少しだけ動かせるんですね。電動車いすの操作を練習していると無意識のうちに体中にすごく力が入ってしまい、それも側弯が進行した原因のひとつだったと思うのですが、どんどん脊柱の変形が進んでしまいました。車椅子に体幹ベルトで固定してもらっていても、すぐに横に倒れてしまうようになってきて、それでコルセットを装着するようになりました。
── コルセットの装着は辛くなかったですか?
Hさん:コルセットを着けることに抵抗はなかったです。もともと車椅子での生活で自分の意思では体は動かせないので、コルセットのせいで体が不自由になったというようなこともないですし、むしろ体が安定するのはありがたかったです。ただやはり、一日中着けているので暑くて不快というのはありましたね。寝るときだけ外していました。
── その後はどのように側弯症に向き合っていきましたか?
Hさん:少しでも側弯の進行を抑えられたらという思いで、小学6年生の時に、かかっていた病院で背中の筋解離手術を受けました。股関節の筋解離手術でもお世話になった先生だったのですが、側弯が進みすぎていたのか、背中の手術にはあまり効果を感じられず、コルセットを外して生活するようになることも叶いませんでした。その後、中学に上がる年齢になって、養護学校を併設している病院に通うようになったのですが、そこで、のちに側弯症の手術を担当してくださるN先生と出会いました。思えば、そのN先生との出会いが私の人生を大きく変えました。
── N先生とはまずどんな治療を行なっていきましたか?
Hさん:N先生は股関節の専門医で、最初は股関節を診ていただきました。前の病院では片方だけの手術でしたが、もう片方も痛みが強くなってきたので骨切り手術をしていただいたんです。その頃から、側弯症の手術をするならN先生にお願いしたいと思うようになっていました。その前に、右手の拘縮がひどくなってきたので、手の筋解離手術をしてもらったんですね。それもN先生の執刀だったんですが、先生は手術後も「どうですか?」と様子を見に来てくださって。オペの麻酔の影響からか、私は手術後は翌日まで嘔吐を繰り返すような状態だったのですが、先生の顔を見ると安心できました。それで、その勢いで側弯症手術への思いをN先生に直談判してしまったんです(笑)。
── N先生にはどんなふうに思いを伝えたのですか?
Hさん:手術直後で嘔吐し続けているような状態でしたが、「先生、側弯の手術をしてください!」と伝えたんです。先生は「手術後でこんなに具合が悪い時に、どうしてまた手術を受けたいなんて思えるの?」と驚いていました(笑)。その頃の私は側弯が進んでしまって、トイレで便座に座っていられなくなったことが一番辛かったんです。常に介助してもらわないと用が足せない。介助をする人も大変。なので「とにかくトイレに座りたいんです」と話しました。そしたら「そりゃトイレには座りたいよね…」と気持ちを理解してくださったんです。でもN先生としては神経筋原性の側弯症手術はこれまでやったことがないということで、すぐにイエスの返事はいただけなかったんですよね。
── 当時、神経筋原性の側弯症手術は前例があまりなかったのですか?

Hさん:その病院だけでなく、全国的に見ても積極的に行っている施設は限られる手術のようでした。背中の側弯となると筋解離手術ではなく、「骨切り手術になるでしょう」ということで、「やるならチタン合金を脊柱に沿わせる手術をするしかない」ということでした。母はそれを聞いて、「無理に手術をしなくても」と言っていましたが、私はどんなにリスクがあっても、前例のない手術でも、どうしても受けたいと思ったので「お願いします」と、N先生に迷いなく言いました。私は先生を信頼していましたし、正直になんでも話してくれるN先生にどうしてもお願いしたかったんです。ただ、先生は必ずしも側弯症の専門でもなかったですし、その場ですぐに「やろう」とは言っていただけませんでした。
── N先生も手術のメリットとリスクについて、少し考える時間が必要だったんですね。
Hさん:そうですね。でもN先生のいる病院は小児専門の医療センターで、一般的には18歳までを対象とした病院なんですよね。その頃すでに18歳を超えていた私としては、早く決断しなければ、ここで手術を受けることができなくなってしまうという焦りもありました。N先生もそれを理解してくれていたと思います。それで、その2週間後くらいに、N先生のほうから「側弯の手術、しようか」と言ってくださって。決断までにすごく悩まれたということでしたが、「これまでに例がないからとか、この病院ではやっていないからという理由で、患者さんが求めることに対応できないというのは、ただのエゴなんじゃないかと思ったんだよね」と話してくださって。私はもう大喜びでした。「僕も経験のないことだから、一緒に頑張ろうね」と言ってくれたのが、本当に嬉しかったです。
※3回連載の第1回はここまでです。次回(10月公開予定)は実際に手術を受けた後のこと、そしてその後の生活について振り返ります。